【インプット】『神道』 | 宗教とは似て非なる存在、神道。実はよくわかっていなかったのです。
こんにちは、サチヲです。
学校では習わない日本の勉強。歴史や文化はもとより、知っておくべき人を私め…全く知らないのです。知らないことは、全く悪ではありません。そのまま知らなくても良いとも思っています。ただ、私は今ようやく“知りたい”と感じたのでインプットとアウトプットを早速やらせていただきます。
ともすれば親ですら教えてくれない…『宗教』の話です。
宗教を扱うと、地味に繊細に考えて書かないといけないのだが…神道は全く平気です。
そもそも『神道は宗教ではない』ことだけは知っていましたが、どうやら、次の2点がいちばんの違いだという事を知りました。
第一に、神道には解決や救いなどの『教え』がありません。更に、教えも無いもんだからガイドブックというか本というか…第二に、いわゆる『聖書』的な記述されたものがありません。
じゃ、何をどう信じているのよ?というお話を、興味深く面白くお話していただきた岡田斗司夫さんの解釈が分かりやすかったので、自分のインプットの為にブログを使わせていただきます。
…あくまで、私個人の知識や考え方の一つを蓄積なので、お気軽にどうぞ。
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☆★☆☆★☆インプット】『神道』 | 宗教とは似て非なる存在、神道。実はよくわかっていなかったのです。
先ずは岡田斗司夫の話のメモ…というか文字起こしをします。
宗教というのは、山の中にデカい石があると。そのデカい石があること自体が奇跡だしデカい石があると言ってみんながおー!すごいって言う。村のみんながその石を見ておー!って言うこと自体か奇跡であると。
だから、拝む。これが宗教のはじまり。宗教とはそれくらいのもので、パワースポットみたいなもんで、、この前札幌のテレビ塔に行ってきて、そこのキャラクターのテレビ父(塔)さんのぬいぐるみとテレビ父さんの絵馬も買ったんだ。この絵馬に祈ってなにか叶うはず無いじゃん。大阪のスカイタワーにあるデカいハートの前で写真を撮る愛が叶います…そんなの叶うわけ無いじゃん。
今、叶うわけないじゃんって言ったよな。
じゃ、なんだろ。伊勢神宮に行ってお参りすることは叶うのか。それも同じだよね。商売の為にって言うとあれだけど信仰パワースポットと古典的なトレドの泉であろうと、バチカンであろうと伊勢神宮であろうとそれらは等しく無意味といえば無意味。
で、それらは等しくそれを信じる人とかそれをすがりたい人がいるからこそ価値がある。だからおれらは全てに関して、だから意味がないんだよっていう中二的なスタンスもできるんだけども、なんか最近逆なんだよね。テレビ父さんの絵馬を買って、騙されてみようかなって思うんだよ。騙されてじゃないや、神事てみようかと。
宗教の本質というのは、センターに本物のオカルトがあるとか本物の奇跡があるとか、そんな事じゃなくて、人がたくさん集まってあー!とか、すごい!とか思っている負いが中心にあるからそこに奇跡が発生すると。
なぜディズニーランドが夢の場所なのかっていうと、みんなが夢の場所だと思ってディズニーランドに行ってるからこそ、夢を信じるという高度な遊びが発生する訳。だからミッキーの中に人がいるじゃないかとか、ディズニーの裏側がっていうのは一見大人の遊び方に見える。子供は信じてる。おれは大人だから信じないぜ、というのは大人じゃなくて中学生の楽し方。で、中二病を克服したら、そんなこと分かってだけと、敢えて騙されてみようと。こう大人のスタンスになる訳だな。
あえて信じて見るほうが楽しいんじゃないの。
じゃないとこの世の中の宗教的な物足りなって全て等しく無意味だってことになっちゃうちなみに、808万あるのは、一つ一つ名前を覚えましょうとか、意味を知っていきましょうではなく、あなたがすごいと思ったものをその場で神の一つとして数えても構わないっていう神の発行許可書を信者全員に開放しちゃった、開放系の宗教っていうところか神道の特殊性なんだ
あらゆる宗教というのはカトリックキリストを中心として、これが奇跡だとか、これが正当かどうかちいうのは全て教団の中心部中枢部が決めるじゃない。
そうじゃなくて信者側にそれを決める権利があって、それどころか新たな神の想像とか神の発生自体をファンが決めていいんですよ。というところが神道の画期的なシステムで、よく紀元前の世界で考えてるなとか思っちゃうんだけど、、これは多分明治以降の神道の理解かもしれないけど。
だから昔、AKBというグループがいたけどあれはもう神でいいんだよ。神7とか言ってるしね。お布施も払っているしね。ファンはAKB48のことを信じているんだよ。
そう考えると人生楽しいと思います。
そう考えると、アニメや漫画なんて超最新な宗教だよね。それくらいこっちが決めていい文化がある日本。なんかいいですよね。なんせ漫画の神様・手塚治虫、や、文学の神様・菅原道真のように本当に生きている人が神様にしてしまうくらいの国なのです。あわよくば“あなた”も神様になれる可能性だってありますよ。
バカにしているように聞こえるかもしれませんが、それくらい知らなかったからこそ驚いているのです。
最後に
一言で信仰心とありますが、これは『無いものを自分意思の力で信じること』と、私は定義しています。信じる心は人がどうこう言うものではありませんね。
今日もウチに遊びにきてくれてありがとうございます。
ではまた