こんにちは、サチヲです。
人が生きていく上で大事で大切な感情表現の一つに“怒り”があります。
でも、怒ることによって引き起こる出来事にはあまり良いイメージはないですよね。
自分も相手も気分が悪くなるし、ストレス解消のつもりが逆にストレスを溜めたり、その怒りが長く継続した日には精神衛生上いい事なんて全くないでしょう。
特に私の場合は『まともな話が出来なくなる』に尽きます。
ただし!良いこともあるのです。
怒ることにより真剣さや情熱が伝わる。怒りをプラスのエネルギーに変えて問題解決の行動を促進する。怒りは防衛感情でもあるので大切なモノを守ることができる。不公平な状況や障害に対して、それを乗り越えようとする強いモチベーションが生まれる。
このようなメリットを見ると…“怒らないことによるデメリット”もあるように思えませんか?
もくじ
【戯言】『怒りのコントロール』 | どの感情にも言えるが、不必要なモノはない。ただし!その感情のハンドルを誰が握るか?
最初に要点を言いますと…自分の感情くらい自分でハンドルを握り、自分でアクセルを踏んで、自分でブレーキをかけたいのです。
他人にハンドルを握らすから…思い通りにいかない。他人にアクセルを踏ますから…疲れる。他人にブレーキを踏ませるから不完全燃焼になる。
特に“怒り”は他人にコントロールされるのは全くいい事はありません。上記のメリットは自分でコントロールしてこそです。
これは、なにも“他人”に限ったことではありません。
忘れがちなのが…『怒りは貧乏人に残された最後のエンタメだ』と揶揄されるように、テレビやYouTubeなど“およそエンターテインメントと呼ばれる媒体”から垂れ流されている情報に対してもハンドルを握らせてはダメなのです。
怒りを誘発する仕掛けによって『怒りの共感』による一体感が生まれ、チャンネル登録をし、結果…情報商材を買わされることになる。なんて笑い話になる可能性もあるのです。
『自分の機嫌は、自分で取る』と昔の人が言うように、人に取らせるのではなく自分で取りたいものです。
でも…自分で運転するのが疲れちゃう時もありますよね。
確かに他人にハンドルを握らせるのは楽だし、なんにも考えなくていいし、その車に乗れば自動的に運んでくれますからね。
もちろん“そんな人生”も有りです。と言うと「両方にいい顔をして!」と突っ込まれそうですが…もっと細かく言うと“自分で”その楽な自動車を作れば問題ありません。
自分で作った車で、自分で作った道を、他人に運転してもらい自分がその車に乗る。そうです。少し言い方が悪かったですが、これが“起業をする”や“家族になる”という類になるのです。
そうなると…運転する人を“他人”と言いましたが、その他人は助手席に座る場合もあるのです。
そこには友達なのか、仲間なのか、パートナーなのか…兎にも角にも大事で大切な人が“そこ”に居るはずです。
そんな人を乗せて運転している人が、既にいるでしょう。本当に尊敬します。
最後に
残り少ない人生。私も、しっかり自分でハンドルを握っていきますね。という戯言でした。
ではまた。