【戯言】『独りよがりと唯一性』 | 制作者としてついついやってしまう時がある。自分しか見ていなく周りを見て発信していない
こんにちは、サチヲです。
これは、私めのざれごと(戯言)であり、戒めでもあります。
誰かに届けている、なんかしらの制作者(絵・曲・商品・サービス等)にには、ほんの少し響く考え方かもしれません。自分自身で完結している制作者はそのまま思うがままいきましょう。
たとえば…ニーズを無視した『独りよがり』の作品をつくる。結果、誰も見てくれない状態が続いてしまう。かと言って“寄せ過ぎ”たら自分の『唯一性』が無くなってしまう。と、考えてしまう経験ってありませんか。私は、もう“そこへ”行ったり来たりです。
でもね。実は、“今”の自分が出している答えは出ているのです。
- 『自分のオリジナリティなんてたかが知れている事を知る。相手のリアクションを見ながら、黙々と量・質・スピードを上げて出し続けた先にオリジナリティが生まれる』です。
で…「結局、継続かいッ!そんなことは分かっちゃいるけど、途中で心が折れる時もあるよねぇ。でもね、たとえ!訳が分からなくても、『〇or✖』の手ごたえが出るまで続けましょうかね」という、自分自身を奮い立たせる時間であり、戯言になります。
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☆★☆☆★☆【戯言】『独りよがりと唯一性』 | 制作者としてついついやってしまう時がある。自分しか見ていなく周りを見て発信していない
特定の人に発信している人で、いちばん身近な存在の一つが芸人さんではないでしょうか。
そこで、芸人さんの間で使われる言葉に『かかる』があります。
- 良い感じに発動すると…テンションがハイになった状態でいつもより面白くなる状態。結果、いつもより多くオンエアされる。
- 悪い感じに発動すると…周りが見えていない…いわゆる“暴走”してしまいコントロールが効かない状態。結果。オンエアはカットされる。
元々『かかる』は競馬用語で、競走馬がジョッキーの指示に従わずに、最初からはりきり過ぎることです。
えーと。はりきる…完全に、私が“そう”なのです。
私も制作者の端くれでして、このようにブログを書いています。
これが悪い方にかかってしまうと、誰にも読まれない、リアクションの無いブログになり、悲しい毎日を送ることになります。
でもね、まだ!『ブログ』ならマシなのです。ただ、閉鎖に追い込まれるだけですからね。
これが『人に対して、かかっている状態』だと、厄介なのです。
ついつい喜んでしまい、私にとっては『良かれ』でも相手にとっては『悪かれ』になる。結果、人が離れる。
でもね、逆に猛烈について来てくれる場合もある。ムズカシイ。
分かりました。
世間に『なにか』を届けるならば…。人に『自分』を届けるならば…。リアクションを気にして、かかり具合を“自分で”コントロールすれば良いのですね。
最後に
あ。何度も言いますが。
世間にも人にも届ける必要のない場合は、目の前のことをどんどん先鋭化していき、刃を研いでいきましょうね。実は、コレも駆け上がる道の一つだと信じていますから。
今日も、ウチに遊びに来てくれてありがとうございます。
ではまた。