【昔の人の言葉】『扉はそれを叩く者に開かれる』 | 扉の前に行くことはとっても簡単。だから扉の前には人がいっぱい。でもね
こんにちは、サチヲです。
私のいちばん弱い部分。それが『実際に行動する』ことです。
もっと正確に言えば、『想いと行為を一致させる』ことです。
はい。行動は!するんですよ。でも、そう思っていた行動は“足りてい”ことが実際のところで、本来の願いを叶えるならば…全く見当違いのことをしているんです。
しかも!足りていないことは自分で分かっているんです。こんな支離滅裂なことをしておいて「あぁ、中々どうして自分の思い描いた状態にならないなぁ」と嘆く。自分では、この行動では足りないことを知っているのに。
もう、そんな自分が怖いです。
そこで、手を変え品を変え…とうとう、人が作った神で有名な方であろうキリストさんの、新約聖書から『考え方』を抜粋させていただきます。
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☆★☆☆★☆【昔の人の言葉】『扉はそれを叩く者に開かれる』 | 扉の前に行くことはとっても簡単。だから扉の前には人がいっぱい。でもね、その扉を実際に叩く人が少ないのです。
- 扉はそれを叩く者に開かれる
⇒こちらは、マタイによる福音書・第7章を参考に、信仰と祈りの大切さを説いている。
翻訳がいちばん繊細なところなのですが…恐れずに言いますと『神に対してひたすら祈りを捧げ、助けを求めれば、最終的には神がその祈りに応えてくれる…』です。
“ひたすら祈りを捧げれば…”が、キリスト教で言うところの『行動』です。
でも、私の解釈では『実際に扉を叩いて、実際にその部屋にはいること』までが、『行動』なのです。
そもそも、私の願いとする『扉の前』まで勇気を持って立つのです。そして、“それ以上の勇気”を持って扉を開き、自分の足で扉の先に進むのです。
さて、あなたはどの扉の前に立っていますか?目の前の扉は、本当にあなたの望む扉ですか?
違うと思うのなら、もう一度『あなたが願う扉』の前に行き、自信を持って開きましょう。
きっと、今日とは違う明日があります。
結局のところ…『行動した人でしか変われません』
思い念ずる“だけ”では、足りませ。それは、受け身です。
最初は、それ“だけ”で良いです。でも「なんだか、足りないなぁ…」と思ったのならば、自分の手を伸ばして掴みましょう。
最後に
ちなみに、この『祈り方と解釈の違い』で、聖書から新約聖書と変わり、更にそこから2つに分かれ…今じゃキリストの名を付けて数え切れないほどの『キリスト教』が存在するんです。
こう考えると、人って本当にスゴイですよね。でも、安心してください。あなたが信じているモノが本当の真実ですよ。
今日も、ウチに遊びに来てくれてありがとうございます。
ではまた。