/>【読書】史上最強の哲学入門…東洋の哲人たち…飲茶 著 | 西洋哲学と東洋哲学の違いを初めて知りました
ギターや音楽、美味しいご飯、マンガやアニメを幅広く発信中。 人生で得たスキルや知識、感動、経験のアウトプットブログです。

【読書】史上最強の哲学入門…東洋の哲人たち…飲茶 著 | 西洋哲学と東洋哲学の違いを初めて知りました

✒リテラシー イケてる本 宗教リテラシー

こんにちは、サチヲです。

哲学の真理を少しでも学び、生きることの糧にしたい!と思い、この本を手に取ったのですが…これまた初めての知識が盛りだくさん。
この本は二部構成となっており、この東洋哲学で1冊。西洋哲学で1冊。で、東洋哲学なら釈迦、孔子で、西洋哲学ならソクラテス・デカルトなどの紹介となっています。

しかしながら私。それぞれ、人の説明に行く前に衝撃的な『事実』を知ってしまいました。
なので、今回は『西洋哲学と東洋哲学の違い』を特集します。

この本を読んだら、なんと!宗教の在り方も理解できる材料の1つを得ることが出来ます!では、スタートです。

スポンサードサーチ

☆★☆漫画全巻ドットコム☆★☆

【読書】史上最強の哲学入門…東洋の哲人たち…飲茶 著 | 西洋哲学と東洋哲学の違いを初めて知りました!

著者である飲茶は、導入部に以下のような『興味付け』を仕掛けてくるのである。

まず最初にはっきりと断っておくが、本書を読んで東洋哲学を理解することは不可能である。それは本書が入門書だからと言う意味ではない。何万語と尽くした本格的な専門書を、何万時間かけて読んだとしても同様、この地球という惑星の中で空よりも高いものがないとわかるように、東洋哲学の理解不可能性がわかるだけである。

東洋哲学を学ぼうとしている私に対して、はっきり言って理解は『無理』とはっきり言い切ったのである。
いやいや!十分な興味付けです。
このように、引き付けておいて『東洋哲学は、時間と労力をかけて学べば学ぶほど、むしろ理解から遠のいていく』というのを、西洋哲学を引き合いに出して、めちゃくちゃ分かりやすく説明するんです。

一方、西洋哲学であれば僕たちは理解できる。
もちろん、一般的な西洋哲学も難解と言うイメージがあるが、それは結局のところ理解が難しいのであって不可能ではない。仮に西洋哲学がどれだけ複雑で難解ものであったとしても、基本的にそれは論理(みんなで共有可能な思考形式)によって作られた体系であるのだから、果てしなく時間と労力をかけて学び続ければ誰にでもいつか理解に達することができるはずである。

「え!?こんなに違いがあるんですか??」という感じに、次の本の紹介(史上最強の哲学入門の西洋哲学Ver.)につながる内容なんだと思ったら、もっと明確な説明が来ます。

西洋哲学は『階段』と説明してきました。

曰く。

紀元前500年頃、タレスもしくはソクラテスから始まったとされる西洋哲学は本質的に『無知』を前提とする。
「今生きているこの世界とは一体何なのか?」
「絶対的に正しいものは存在するのか?」
こういった根源的な問いについて『本当のこと(真理)』を答えられる西洋哲学者は誰ひとりとして存在しない。真理に対して西洋哲学者たちはみな一様に『無知』である。
だが西洋哲学者たちはこの絶望的な戦いに決して屈したりしない。
彼らはむしろ『無知(自分たちが心理を知らない、真理に遠く及ばないこと)』を自覚することで、絶対にいつか真理に到達してやる!という熱い情熱を呼び起こす。
そしてその情熱も赴くまま、人生の全てを費やし、考えて考えて考え尽くして出来たのが西洋哲学である。
それはその当時における最強最高の思考体系として世界中を席巻し、国家に、文化に、学問に、多大な影響与えてきた。
ここが重要。
とはいえ、もちろんそれでもそれは真理という究極には程遠いものである。
だから彼ら西洋哲学者は、真理到達という志を後世に託す。
すなわち、たとえ心半ばで朽ち果て真理に到達できなかったとしても、次の世代の人々は必ずや目的を達成してくれることを願い、自らの哲学を書き残して引き渡すのだ。
ただし、だからといって後世の人たちがやってくれることは、その哲学をさらに洗練させて完成にいたらせることでも、「素晴らしい偉大な哲学だ」と世界中に布教をしたりすることでもない。
むしろその逆、人間がやることは、引き渡されただ、先人の哲学の『徹底的な破壊』である。

後世の人間たちは、偉大な先人の哲学を崇めることなく、疑って疑って疑いつくし、徹底的に破壊する。

なぜなら、先人の哲学に満足してそこで終わってしまったら、何の進展もないからだ。子供がいつかは強大な力を誇っていた父親を乗り越えなければならないのと同様、目の前にどれだけ偉大な史上最強の哲学があろうと、後世の人間はそれを乗り越えて、一歩先に進まなくてはならない。
先人の哲学に反逆し、それを打ち砕く『より強い哲学』を生み出さなくてはならない。

コレを分かりやすく絵で説明したのがコチラ…

より優れた論、究極の真理を求めて、先人の論を乗り越えて高みへと高みへと一歩ずつ登っていくイメージ。

お、面白いですよね!!このように、数え切れぬほどの人間たちが、2500年もの膨大な時間を費やし積み上げてきた強力な学問、それが、西洋哲学だと説いています。

そして、西洋哲学は難しい!と思っている方は、大抵、途中の階段(哲学2.0…例えばソクラテスとかね)から読んでいるため難解なんです。と言っています。ドラマで言えば、途中から観て「訳が分かんねぇ」と言っているようなものです。

そして、本題の『東洋哲学』は、ピラミッドのようなイメージと説明しています。

一方、東洋哲学は、そうした西洋哲学の営みとは根本的に異なる。そもそも、東洋哲学者たちは『無知』を前提にしない。

曰く。

それどころか、彼らが臆面もなくこう宣言する。
「我は心理を知りえたり。悟った。究極に足した」
なんと不遜な発言だろう。それはまるで西洋哲学が一歩一歩積み上げてきた研鑽の歴史をコケにするかのごとき所業。
西洋哲学は2500年もかけてそれでもまだ到達できないというのに東洋哲学はそれをあざ笑うかのように「とっくに到達済みだよ」と宣言するのだ。
ここが、東洋哲学と西洋哲学が根本的に違うところである。
いかがですか!!!ここまで二つの哲学の『考え方』の出発点もゴール地点も違うんです!!

この本の、いちばん乗りに乗っている部分であり、いちばん重要な前提情報ですよね!!!

そして、飲茶は続けて『東洋哲学の神髄』を私に教えてくれました。それは…

つまり東洋哲学は『ゴール(真理)を目指す』のではなく『ゴールした』ところからスタートするのである。

それゆえ、東洋哲学者に対する後世の人間たちの接し方も、西洋哲学のそれとは異なる。
東洋哲学者の哲学を引き継いだ後世の人間たちは、西洋のように、その哲学を批判したり打ち砕くことに躍起になったりはしない。だってそうだろ。その哲学はもう既に『ゴール(真理)』に到達してしまっているのだ。だったら、どうしてそれを否定して新しい哲学を作り出す必要があるんだろうか。

次の説明が、私が一番腑に落ちた場所でもある『宗教戦争』が無くならない理由の一端が垣間見れたことです。それが…

とは言えだ。実際問題として先人の東洋哲学の中に、現実と整合しない矛盾や問題を見つけてしまうことだってある。
そんな時はどうするのか?

後世の人間たちは、先人の東洋哲学を「ここが間違ってるね」と修正するんだろうか?
いや、そんな時は「自分たちの解釈の仕方が間違ってるんだ」と考え、『新しい解釈の仕方』を作り出し、その解釈の体系を発展させていく。
「釈迦が言ってたことって、こういうことだよね」解釈A(宗派A)の発生
「いや、それだと矛盾があるよ。きっとこうだよ」解釈B(宗派B)の発生
「いやいや、実はこういうことだったんだって」解釈C(宗派C)の発生
それが、下の絵で説明されるような状態です。

え!?コレが!!一神教のはじまりだったんですね!!

哲学だったんですね。それぞれの解釈がヤハウェであり、キリストであり、アッラーだったのかと。

気軽に哲学の面白い本があると聞いて読んだ本が、宗教の在り方まで知ることが出来て本当にラッキーです。
宗教の本を読んでも、さすがにこの切り口での説明は無いと思います。

最後に

今回の内容、本書では8ページ分の情報でしかありません。
…考えられません。内容濃すぎです。この後に、東洋哲学の源流、源泉、最初の一滴というべき『人(これが大切。神ではなく人ね)』がインドから始まるのである。

私、この本買います。図書館で借りて読んでいましたが、買います。
一応、Amazon情報も載せておきます。
史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫 や 33-2) | 飲茶 |本 | 通販 | Amazon

ではまた。