【戯言】『タイミング』 | 言葉をどう受け止めるか。言葉をどう発信するのか。つくづく思い知らされます。
こんにちは、サチヲです。
私の勝手な解釈ですが、耳障りの良い言葉や、気づかされる言葉、いわゆる格言のような言葉はタイミングによって“かなり”左右される…と、感じていました。
今回は、なんの意図も無いですが…何故か“今の私”に刺さりました。
もちろん、その言葉は相当前から知っていた言葉でしたが、何故か今になってグッときたのです。
そんな時ってありませんか?
あなたには全く響かない言葉かもしれませんが、なにかのタイミングで妙に納得する時があるかもしれませんよ。
もちろん!私の【戯言】として聞き流して構いません。お待たせしました。その言葉が…。
愛の無い力は暴力である。力の無い愛は無力である。
スポンサードサーチ
☆★☆☆★☆【戯言】『タイミング』 | 言葉をどう受け止めるか。言葉をどう発信するのか。つくづく思い知らされます。
では、愛があれば全ての暴力ではないでしょうか。…そうではないですよね。昭和の時代ならまだしも現代において“かなり”雑な言葉なんです。
何故か。『愛』という言葉の主語があまりにも大きすぎるので、多種多様の『愛』の形や考え方が存在するからです。
ここで愛を説くつもりはありませんし、ましてや説教するつもりもないのですが…ただ“私”の価値観で考えたとき、悲しい気持ちになり、みじめな状態な感じになったのです。
それは私の価値観であり、相手の価値観とは違って当たり前です。それは分かっています。
ただ、ここでも『タイミング』が存在するのは確かなんです。
なんの話をしているか…分かりませんよね。
要するに、自分の言葉が暴力になることもあるし、相手の言葉が暴力に聞こえる場合もあるのです。これは事実として受け止めて、今後はより良い発信と受信を心がけていきます。
ちなみに、“それ”を少し気をゆるめると…途端に『無力』になるのも皮肉ですよね。
気を付けて、気を付けて…気を付けすぎて、何も届かない。
なんか仕事で良くある、『伝えた』と『伝わった』の違いによく似ています。
『伝えた』は自分だけのコミュニケーション。『伝わった』は双方向のコミュニケーション。しっかり確認しないとですね。
つくづく『力の無い愛は無力である』…耳が痛いです。
最後に
私だけの効果になりますが…このように言葉に吐き出すと、少し楽になります。
このブログは少しでも『有益な情報を書く』と、心がけていますが…無理やり有益な情報をひねり出すならば『なんかイヤな事があったら吐き出しましょう』です。
このブログにコメント欄があるのならば、あなたの『吐き出し』をどんどん書いて欲しいくらいです。
ただ…なにをどうやっても、コメント欄が復活しないのです。。もっと勉強しますね。
そして、明日もお仕事がんばります。おやすみなさい。
ではまた。