(スリースター ©加治佐修/小学館)
こんにちは、サチヲです。
仕事がはじまるであろう月曜日から、めちゃくちゃ重い話をします。明るくスタートしたい人は読み飛ばしてください。

やっぱり『明確に目指すモノ』が分かりやすいスポーツマンガは、学びの宝庫のなのです。
『スリースター』という卓球マンガも、もれなく“そう”なのです。

部下に対して…いや!もしかしたら友達や仲間、はたまた異性に対しても、以下のような気持ちになったことはありませんか?
「なんでおれが教えた通りにやらないんだ!」
「おれのことを分かってないな。」
「おれが言ったことは間違ってないのに!」
このように、思い通りにいかないことに対しての苛立ちの底にあるのは…『我』の強さであり、別名『エゴ』なんだと強く教えられました。

私は…確かに“そんな”気持ちになり苛立ちを覚える時が多々あるのだ。
「私がしっかり教えたのに、出来ないのは部下が悪いんだ」という所からの気持ちなので、自分は全く悪くないと思っていましたが…そうでは決してない。
ポイントは、教えれば教えるほど期待をして、更にその期待の先に『相手が出す結果』にまで口を出してしまうのです。それが『依存』なのです。
その『相手に依存する』ことが、どうやら『してはいけないコト』だと教えていただきました。

【スリースターに学ぶ】『期待はしても、依存はするな』 | 部下に教えれば教えるほど起こる、お互いの負荷とはナニか。

(スリースター ©加治佐修/小学館)

主人公である司は目(動体視力)が良いため全国に名を馳せた天才卓球少年だったが、父親の依存度MAXの過度な練習の為、足の靱帯を損傷し卓球が出来なくなり…大好きだった卓球を「もうやりたくない…」とまで言わせるほど心も体も大きな傷を受けた。
そんな父親に“あえて卓球で復讐する”ために、陰でリハビリをして…なんやかんやあって卓球素人である同級生の白金くんを教え、なんとか団体戦に出れるくらいの状態になった。
そして、試合本番。
白金くんなら1回戦くらいは突破できる素質もあるのに、いざ試合がはじまったら色々な考えや緊張で全く動けない白金がいた。
そんな不甲斐ない姿を見た司は、白金くんに対して“自然に”こう心の中で思ったのです。

「なにやってんだ 白金!!おまえの実力はそんなんじゃないだろ!恐ろしい早さで成長してきたじゃないか!!」
その早さに合うように練習メニューを考えて 朝練だってやってたのに」

ここで司は、ふと我れにかえるのです。

(スリースター ©加治佐修/小学館)

それじゃまるで……父親(あの人)と同じ
ここで、このブログのアイキャッチの『画』が出てくるのです。

気がつけば、父親が司にしていた事を司も“同じように”白金くんにしていたのです。
正確には、白金くんに靱帯が斬れるほどの過酷な練習…という行動まではしていませんが、その入り口である『考え方』が染まりつつあったのです。
しかし、百歩譲って“司がこうなってしまった”のはしょうがないです。だって“こう”でしか教わってないですから…。

この瞬間、父親が子どもと縁を切っても(現在は離婚している)切れない『心身に沁みついた教育』が、実は呪縛となっていことが分かるのです。
でもね。
司はしょうがなくても、私が“この『考え方』になっては”いけません。

それが口を酸っぱくして言われた『期待はしても、依存はするな』の入り口です。

では、いけないのか??
『依存=他人をコントロールする』となり、その先にあるのは『お互いに不幸なる』でしかないからです。
原則として、他人はコントロールできません。これは神をも昔から…要するに人類が誕生してから不変でございます。
しかしながら!それでもやらないといけないのが現実社会なので、世には“コミュニケーション能力の向上”なんてものが今も昔もこれからも必要なのです。

仮に「オレはコントロールしているぞ!」と感じている人は、その人に「あなたはコントロール出来てますよ~」って錯覚させてもらっているだけです。
本当にそれを“している手応え”があるのならば、大げさかもしれませんが純粋な『個の意志の破壊』です。よって、その後には何も残りません。
コントロール出来ていると思っている内訳は、上司という『権力』、親という『立場』、そして恵まれた『環境(年齢など含む)』という外的要因の力でしかありません。私自身の力ではありません。
このままその道を歩くと、振り返ると自分の後ろには人がバタバタと倒れているか、その人に後ろから刺されることになります。私め、20代の頃はよく刺されて(社会的に)いましたから…。
現に物語では、司はあの人(父親)を卓球界から抹殺しようとしています。それほど、あなたの“身近にある”のです。
というのは言い過ぎかもしれませんが、少なくとも自分の周りから人は離れているなと感じたのならば…コレが理由の一つかもしれません。

これぞ正に!人と人が関わる限り発生する『あるあるネタ』なのです。

(スリースター ©加治佐修/小学館)

コントロールしようとしている人は、思い通りの結果にならないと“その人が出来ないことに執着する”ことになり、相手に対して要求がどんどんエスカレートします。
逆に、コントロールされる人は、そもそも納得をしていないので動くはずがありません。しかし!言うことを聞かなければ心身に悪影響を及ぼすから“仕方なく”聞くことになります。
いかがでしょうか。
負のスパイラスの出来上がりです。
はたして…この2人に、明るい未来はあるのでしょうか。

第三者から見ると「アレは…ヤバいな」と分かるのですが、当事者は意外に気がつかないのです。
それだけ『他人をコントロールする』というのは、非常に魅力があるからです。
「このままいけば、オレは自分の手で未来を作れるんじゃないか…!?」という、幻想を抱かせる行動そのものですからね。

さぁ。これを修正するのが大変なんですよ。

答えは『相手の立場に立って考えた言動をする』というごくシンプルな考えです。ただ、それだけです。
それなのに、なぜ難しいのか。
それは『依存』の根元となっている「私が…」や「オレが…」という、自分中心で見て考える『我の強さ』、いわゆる『エゴ』をなくすのが思いの外難しいからです。
本来の『エゴ』は、自分を主張するため、自分を守るために必要な処世術ですが…何事も過ぎたるは毒です。

相手の立場に立つ為にいちばん最初にやるべきことは、今までの事象を『自分の責任』に変換して、自分自身でコントロール可能な領域に持っていくことです。
「あんなにがんばったのにね」まではいい。これは、まだ『期待』として処理されます。
しかし、その後に「なんでそんな事も出来ないんだ」となったら、実はもう「できないのはオマエのせいだ」という『他人の責任』にしているのです。
その人の結果は。その人の責任の元にあります。なのに、人の結果にまで口を挟んだ時点で『コントロールできない領域』なのに、一生懸命にいじくりまわしている状態となるのです。
でも…
『自分の責任』という自責にすると「自分の教え方が足りなかったのかもしれない」となります。そうすると…あら不思議自分自身で『コントロールできる領域』に入ります。
そして、自分の責任として考えることが出来た司が、相手に立場に立って出した素晴らしい『考え方』が…

「今いちばん辛いのは、実力を出せていない白金…今おれがやるべきは…あいつを救ってやること」

「なんで出来ないんだ」という『依存』から抜け出すと、こんなにも“言動が変わる”のです。

(スリースター ©加治佐修/小学館)

そして司は白金くん考えて、昔のことを思い出します。
そう。実は白金くんは、当初から「アクション俳優になり、スターになる!!」と豪語していたのです。だから、卓球部なんて入る気はこれっぽちもありませんでした。
司を含め、みんなでお願いした結果…白金くんは卓球にハマり現在に至ることになります。

さぁ、今は試合の途中。時間はありません。
このままでは試合にならないので、速攻で立ち直らせる必要があります。
先ず司がしたことは「白金!!」と大きな声で観客席から声をかけました。
そして…
「スターになるんだろ? ならここからが本番だ」と、優しく語りかけます。
最後に司が選んだ言葉が…。

「よーーーーい アクション!!」

である。もう泣けてきます。なんて素晴らしい指導者でしょうか。
司は、白金くんの“真の動機”を呼び起こす言葉で緊張をほぐしてあげたのです
アツいです!マンガの力は確かに在るんです!!

これが「おいッ!白金ぇ!!先ずこっち見ろよ。オマエさ、オレが教えた通りにやって試合勝たなかったら…分かってんだろうなぁ。あぁ!?」という言葉を司が客席から叫んでいたら…果たして白金くん緊張は解けていたでしょうか。
これで成果を出すなんて、相当なドMくんしかできない芸当です。
この令和の時代では考えられません。
白金くんを汚してはいけません。
仮に、そんな恐怖政治で動くのは一瞬です。
てか、それで人を動かせるならもっと世の中もっとハッピーになっています。

最後に

ここまで書きましたが、権力や立場のある状態なら“まだ”分かる。
実際のところ、私はどこかで必要悪として認めている部分はあります。
でも、これを仲間や友達にしていたら…。
こんなブログを書いているくらいなので、私が知らない間に心身を傷つけている人が居るかもしれないのです。
というお話でした。
本当に気をつけます。

ではまた。