こんにちは、サチヲです。
完全に、盛大なるネタバレですので…苦手な方はブラウザバックをしていただければと思います。

前期に放映された異能バトルアクションアニメ 『リィンカーネーションの花弁』 が、あまりにも 『才能の在り方』 について “とことん向き合っている” のです。
一見すると、このようなネタは思想強めのイケてる説教臭いメッセージが所狭しと攻めてくる “自己啓発系バトルアクションアニメ” かと思いきや…全く違いました。
才能はただの入り口に過ぎず、その先にある “自己理解・認識” について深堀するあまり、 「一周回って 『コミュニケーションの在り方』 にまで突きぬけたなぁ…」 というのが、1期に受けた感想です。

最初の頃は…能力にかまけての強引な解決方法や、敵を倒す方向でいくと思っていました。
実際に 「あぁ…どんどん都合のいい能力を盗んで無双するタイプなんかなぁ」 と、思わせるような構造で見せてくるものですから…すっかり騙されましたよ。
確かにその方向で続けていたら、ここまでの軌跡は辿っていないでしょう。

兎にも角にも、主人公である扇寺 東耶(せんじ とうや)くんの成長への階段の作り方がうますぎるのです。
東耶くんが自己理解を経てから、コミュニケーションのPDCAサイクルをぶん回した後の 『たどり着いた(悟った)言葉』 が、あまりにもイケてるのです。
長いですが、ちょっと読んでもらってもいいでしょうか。

【アニメ】『リィンカーネーションの花弁』 | 才能と人格を切り分け、個人ではなくどこまでも人あっての未来を魅せてくれる作品。

何者かにならなければいけない。その声に、長いこと縛られていた。 誰かと比べて、追いつめて、無能な自分を埋めるためにすがっていた……才能。
世界は何かに秀でているものにしか光をくれない。 才能なき者は埋もれていく。
僕は人である尊厳すらも捨てて才能を得た。

それさえあれば救われる。 全てが報われる。 違った。
全能だったあの人が不完全で、僕と変わらなかったように、これまで出会った廻り者(まわりもの)達すべてが悩みながら生きている。

でも、それでいいのかもしれない。
才能の有無など関係なく、在り方を証明しようとしているそれは、結局自分らしさを求める人間そのもの。

だから僕はもう、何者にもならなくていい。
僕は、僕としてーーー

エピソード13 『輪廻の果てに』 By 扇寺 東耶

欠けた心と未熟な思想で突き進んでいた、あの! 東耶くんが、みんな大好き 『自己肯定感』 を手に入れた瞬間です。
才能という能力を横に置き、あくまで人として向き合うことをしているのは、他ならぬ廻り者(まわりもの)達ではないでしょうか。
そこには…意地、プライド、真っすぐさ、これらが “いつでも正義” なわけではない…という事を教えてくれる。

ただ、正しい。

それに向き合う覚悟があるものが、正しいことを口にしていいのだが…それは、ただの正解。 ただ “それだけ” だということに気が付いた。
人として生きていくには、圧倒的に “足りない” のだ。
その答えを、本作でのお母さんであり、時にはお父さんにもなる “ジョン・V・ノイマンさん” が説く。

ノイマン : 配慮が。 選ぶべき言葉が。

この2つが足りないことを教えてもらいましたが、重要なことは…
「じゃどうするか。」
です。
優しいノイマンは、東耶の背中を更に叩く答えを与える。

ノイマン : 尽くせ。手でも言葉でも。

肯定する。素直に吐露する。悪いことは謝る。
これを相手より先にする。
僕たちは僕たちのまま…
そして改めて、理由…考え方を伝える。

この階段を二つ飛ばしではなく、1段ずつ登ったからこそ…可能性を含めた数々の「もしこうなっていたら…」という、未来の話が冷静に話すことができるようになる
この階段を丁寧に登ったからこそ、過去の悔やみ、遺恨、後悔の話ではなく、これからの事を話すことができる。
だから “世間の正解” ではなく、自分たちだけが適用する正解にたどり着く。
もしくは “その考え方” を正解にする行動をとることができる。

言うは易し…というくらい、美しい言葉と行動だからこそ夢を魅せてくれる作品でした。
私め、もちろん現実の世界でも “それ” を目指しますよ。
できる、できない、ではなく先ず目指す。
それくらいしてもいいですよね。

最後に

早く2期が見たい。
マンガは24巻まで出ているが…できれば “この感覚のまま” アニメの方を見たいのです。
マンガのノリと、アニメのノリは確実に変わってしまうので…でも! いつかはマンガで再履修しますよ。

ちなみに、北束斎役の 『細谷佳正』 さんの声も大好きなんです。
なんたってあの!オルガ・イツカの声の人ですからね。
最高ですよ。

ではまた。