新井一樹さんが地域の小学校へキッズシナリオというシナリオ出張授業を行った時のお話
授業の開始まで、時間があったので、何の気なしに廊下の壁に貼ってあった作文を読んでいました。秋に行われた運動会について、5年生が書いたものでした。
最初は「みんな、なかなかうまいなぁ」と思いながら読んでいましたが、途中から違和感が生まれました。リレーを頑張った話、組体操を頑張った話、玉入れを頑張った話などなど、どれもこれも、運動会で何かしらを「頑張った話」なのです。
名分の頑張った話は、感動的というよりも、ある種の異様さを感じます。雨が降って中止になってほしかった子、運動会の練習が嫌で仕方がなかった子は、一人もいなかったのでしょうか。
私の姪は、運動が大の苦手。運動会は、大っ嫌いです。もしも姪が、この学校に通っていたら、同じように運動会で頑張ったことを作文に書くのでしょうか。「明日、雨になれ!」と、布団の中で願ったことが、本当に頑張ったことだったとしても。
「何を書くか」を教えると、こういうことが起きます。
作文の課題が「運動会で頑張ったこと」だったとしても、「何を書くか」ではなく、「どう書くか」という表現技術さえ子どもたちに伝えてあげれば、子どもたちの作家性はのびのびと発揮されたはずです。
運動が得意な子は運動会での頑張りを、運動が嫌いな子はその思いを、とくに思い入れのない子は、周りの子たちの様子を書くこともできるのです。