【映画鑑賞】ストックホルム・ペンシルベニア | 『人は一蓮托生という呪縛から逃れることは出来るのか…』
こんにちは、サチヲです。
Amazon prime、略してアマプラ。ネット環境の変化のひとつであるサブスクリプションって、一昔前では考えられないビジネスモデルですよね。
おかげで、友達からおすすめされた映画が気兼ねなく観れる(まぁ、あれば…)ってスゴイことですよね!
今回おすすめされた映画は、相当衝撃を受けました。それは、2015年製作、ニコール・ベックウィズ監督のサスペンス映画である…
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☆★☆☆★☆もくじ
【映画鑑賞】ストックホルム・ペンシルベニア | 『人は、一蓮托生という呪縛から逃れることは出来るのか…』
早速、質問ですが「あなたは監禁されたことはありますか?」
…いや、そうそうあるモノではないでしょう。急に見ず知らずの人に監禁されるなんて考えただけでも恐怖です。。
4歳の時に誘拐され、地下室で犯人の男ベンと17年間を過ごしたレイア。。
と、あらすじに書かれていてるが、この映画は長きに渡る監禁生活を描くのではなく、犯人が逮捕され、少女も解放された『その後』の生活を描くところが、私にとって新しく感じた切り口でした。
ちなみに、この映画のテーマでもある『ストックホルム症候群』とは、誘拐や監禁事件の人質が、犯人に共感や好意を抱く現象と言われています。
その背景には、他者に支配された恐怖の感情を背景に、自らの生命を守るためにとる選択的で欺瞞的(ぎまんてき…あざむくこと。だますこと。とあるが、ここでは自分をだますという意味)な行動を取る。そんな重いテーマだということをうっすら思いながら観ました。
現実の『監禁事件』ほど目を覆うような壮絶な内容ですが、これは『映画』というエンターテインメントに加工されているので、変な安心感もありました。
と、思いきや。心がえぐられるような映画でした。観た直後の殴り書き感想がこちら…
愛情の色や形は沢山ある。それは当たり前だ。幸せという感情もそうだ。
物事や価値観の正解・不正解というのは、愛するパートナーという『他人』が決めるのか、『自分』で決めるのか。
きっと、そこで行われているのは、健全な話し合いによる『歩み寄り』です。
とは言え、愛されている、愛しているパートナーと必ずしもその答えが一緒、ということにはならない現実がある。
それはそうだ。愛し合っているパートナー同士でも、それまでお互いにウン十年間生きてきた人生という『文化』を持った、違うもの同士が一緒になるのだから、違いがあって当たり前だ。
けれど、一致していない、違うからといって、周りの第三者が幸不幸と決めつけてはいけない。
最終的には自分自身が悩み、決めて、感じることだから。それだけが本当の純粋無垢な自分の答え。
でも、待ってください。そのパートナーが、『親子』だったらどうでしょうか。
言い方を変えます。『育てる人』と『育ててもらう』関係。
こうなると一気に意味は違ってくるのではないでしょうか。パワーバランスが崩れて、先程の『健全な話し合い』というのは無くなるのではないでしょうか。
そして、この映画で語られる『物事や価値観』を、あなたは正常に判断出来るのだろうか。とやかく言えるのだろうか。
正直、この映画を観て感じたことや言いたいことは沢山あります。けれども、私はただただ黙って受け入れることしか出来ませんでした。
いや、『そこ』へは、立ち入ることの出来ない強い壁を感じました。だって、当事者ではないし経験者でもないから。
きっと、本当の愛情や幸せは、その壁を乗り越えた人だけが享受できるだなと。
その壁を越えようという歩み寄りもなく、ただ横で見ているだけの人は、結果…即退場となってしまう。この映画で言うとお父さん(これもリアルな家庭環境のひとつではないでしょうか…)ですね。
ただ一つ言えることは、親子というのは良くも悪くも、結果の良し悪しにかかわらず、行動・運命を共にする。いわゆる一蓮托生な部分もある。
それが、『生みの親』であっても『育ての親』であっても。それが『犯罪者』であっても。。。
という感じに、見終わったあと考え込んでしまいました。。
それは、共感でも否定でもなく、色々な形で感情移入してしまいました。
観た後に感じた、新鮮な気持ちを忘れないようにと書き留めた言葉でした。
ジャンルは『サスペンス』とありましたが、映画を観ながら思いました。「え…これがサスペンス!?…こーゆー形のもあるんだなぁ」と、軽く感じましたが、全体を通して観れば間違いなくサスペンスです。
そもそも『サスペンス』とは、ある物事に対して不安や緊張を感じるような状態が続く心理的恐怖のこと。とありますが、映画の最後にやってくれます。
これは怖い。人はどこまで一蓮托生な部分を持っているんだろう…と、考えさせられました。
被害者に、ストックホルム症候群という病名を付けることを反対する
別の話になりますが、1988年オーストリアのウィーンで、10歳の時に約8年間誘拐され監禁された少女の実話があるんです。
事件解決後、被害者であるナターシャ・カンプッシュ自身が、2010年の『ガーディアン』のインタビューで、ストックホルム症候群について語った内容を共有させてください。
ひとつの声ですが、紛れもない事実のひとつです。
「被害者に、ストックホルム症候群という病名を付けることを反対する。これは病気ではなく、特殊な状況に陥ったときの合理的な判断に由来する状態である。自分を誘拐した犯人の主張に自分を適合させるのは、むしろ当然である。共感を示し、コミュニケーションをとって犯罪行為に正当性を見い出そうとするのは病気ではなく、生き残るための当然の戦略である。」
生き残るために、自分を変化させる。こんな重い言葉聞いたことありません。
私、思い出してしまいました。日本でもキャンプ場で少女が急に行方不明になった事件ありましたよね。
これって…。
とにかく。被害者が無事に生きていることを強く祈らせていただきます。
最後に
少し重くしてしまいましたが、『少女が自立する映画』と見たら、また違った感想が出てきますよね。
このように、映画という媒体を通して、色々と考える機会をいただきました。
特に、超絶有名なSF映画から引用したであろう固有名詞の数々…。
誘拐した少女の名前をプリンセスにちなんで『レイア』と名付けたり、自分を『ベン』と呼ばせるところが妙に考えさせられます。。
そして、『ユニバーサル』という宗教までも…。これ、ほかの映画なら笑えるネタですが、この映画では…結構笑えないですよ。まさに、サスペンス。
いやー、映画は面白い!それはそれ、これはこれ、ですね!
教えてくれて本当にありがとうございました!!
ではまた。
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ストックホルム・ペンシルベニア