【宗教】『創世神話の存在理由』 | ビダハンという民族の『イビピーオ=直接体験』という考え方が、創世神話を必要としない…
こんにちは、サチヲです。
- 創世神話とは世界認知そのものなんです
この答えの面白さに加え、“一つの答え”に辿り着くまでの道のりが本当におもしろかったのです。
その道のりとは…『自分たちの世界を作ったのは、なんだったのか。という、民族のほとんどが持ち合わせているであろう創世神話が無い“ピダハン”という民族がいる。』という、“ある”理由からではなく、“無い”理由から導き出された『創世神話の存在理由』がめちゃくちゃ面白かったし、その『道のり』も良かったのです。
私は、これで『宗教』について“かなり”解像度が上がりました。
繊細なテーマですが、特に!否定をしている訳ではないです。ですが…これから夢の無い話をしますので、「こんな解釈もあるんだなぁ。へぇ~。」くらいで、読んで頂けると助かります。
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☆★☆☆★☆もくじ
【宗教】『創世神話の存在理由』 | ビダハンという民族の『イビピーオ=直接体験』という考え方が、創世神話を必要としない…なんでしたら『神』をも必要としない民族がいるのです。
この前段の話は、ダニエル・L・エヴェレット著 『に詳しく書いてあります。別に買わなくても…もしかしたら、あなたの図書館に置いてあるかもしれません。 』
では、内容を簡単に説明しますと…
めちゃくちゃ敬虔なキリスト教信者が、布教のためにアマゾンの奥地に住むピダハンという少数民族(400人をわる人数)に『聖書をピダハン語に訳し、ピダハンを神の国に導く』ために行きました。言語や文化も分からないので言語習得も含め、そこで30年の月日をかけました。ところが、帰るころには…逆に『彼自身が無神論者』となってしまった。
大変失礼ですが…もう、これだけで面白いですよね。対費用効果を考えたら、もっと多くの人数の所に行けば…とか、とにかく!面白おかしく書かれた人生経験が、ツッコミどころ満載なんです。
これは、『環境は人を変える』の凄いバージョンだと思ってください。
今回は本の紹介ではないので、要点である『イビピーオ』について、かいつまんで説明します。
- イビピーオ…ピダハン語の本質。直接体験、目の前にあることを重視する文化。つまりイビピーオとは、仮定とか創作とか伝聞でなく、未来とか過去とかではない、今、目の前でここで起きている出来事のこと。
なので、ピダハン語には過去形も未来形も無いのです。「昨日、動物を仕留めた」の『昨日』に適合する言語が無い。
これは『イビピーオ』という文化の賜物で、本書では『ピダハンには食品を保存する方法がなく、道具を軽視し、使い捨ての籠しか作らない。将来を気に病んだりしないことが文化的な価値であるようだ。だからといって怠惰なのではない。ピダハンはじつによく働くからだ。』とあるように、明日使う道具ですら、今日!川に捨てるのです。だって、今の体験が終わったから。次に直接使う時にまた作ればいい。という考え方だから「将来に備えて…」という、未来に気を病むようなことは無い。
だから、著者は「ピダハンは人生に満足してよく笑う民族」だと述べている。これが重要なのです。
この事を前提に、ピダハンに『キリスト』という神を説明したら…どのような事が起きるのだろうか。
ピダハンに、「なんでお前は、会ったこともない人の話を信じられるんだw」と、爆笑されたんです。
直接体験を重んじるピダハンにとって、キリストさんに直接会って、キリストさんに直接何かしてもらった訳でもないのに…そもそも、お前はキリストさんの姿を直接見ていないんだよね?見たことのない人のことを、見た事のない人から聞いても、そんな話を信じらるのか?ちゃんちゃら可笑しい。という事です。
確かに、言われてみたら「…それもそうだな」思ってしまいました。
実際に、日本に来たイエスズ会も同じような感じ(こちらは価値観の違い)で、全く広まらなかった話もありますからね。(確か、日本に広めるために教義を変える事を上司に相談してまで布教したがダメだった…諸説あり)
それがあっても、“便利になること”と“幸福になること”は別物なんですね。だから、「ピダハンは人生に満足してよく笑う民族」ことが、宗教にとって障害となるんですね。
とは言え、そもそも人が『神』を作った理由は…これは違う話になるので、また今度。
要するに、ピダハンは『神』を作る必要が無い民族なのです。日本のように『モノ』にもです。
それに付随して、必然的に『創世神話が必要のない民族』となり、そもそも『創世神話とは』の話に繋がるのです。
お待たせいたしました。やっと本題です。そもそも“この情報”を教えてくれた方が語った言葉を共有したかったのです。
- 創世神話とは…自分たちの世界を作ったのはなんだったのか。という仮説ですね。
これをオカルトめいた事だと考える方もいらっしゃると思いますが、創世神話とは世界認知そのものなんですよ。つまり、当時の人たちが生きていた世界が、ほとんどもう説明がつかないし、何が起きるのかも全く分からない。そういう状態の時に「どうして“それ”が出来たのか?」という説明をするというのは、認知の負荷を下げることなんですよね。
良く分からないモノを、良く分からないままにするのはしんどいので、何かしらの因果関係を作り出す。
つまり、創世神話というのは、人間が世界を認知した段階で生まれるんじゃないか、という言説は支配的だったんです。
我が国には日本神話があります。世界を見渡したら、ギリシャ神話・北欧神話や、今回の旧約聖書もありますよね。なんでしたら、チェロキー族やナバホ族、マンデ語諸族にも創世神話が存在しているんです。しかし、ピダハンは無い。
この『認知の負荷を下げる』解釈は、生まれて初めて知りました。
確かに現代でも、『知らない』ことは『恐怖』や『ストレス』の対象になりますよね。
たとえば、素性を全く知らない人と一晩共にするとなると…怖いしストレスが溜まります。人でなくても『FX・株』といった投資も『知らない』だけで、嫌悪感を持ったりしますよね。
まさか創世神話も、このような側面があったとは思いませんでした。
最後に
最初に、「夢の無い話…」と言いましたが、私が“知らなかった”だけで、確かに存在するのです。
こんなの世の中には“まだまだ”たくさんありますよね。だから、知ることや学ぶのが楽しいんです。
ちなみに、創世神話についてお話していただいたのは『ゆる言語学ラジオ』の水野太貴さんです。
本当にこのコンテンツは、私の知識欲と同時に『どのような話し方をすれば興味を持ってもらえるか』を学ばせてもらっています。
今日も、ウチに遊びに来てくれてありがとうございます。
ではまた。